葛飾北斎『富嶽三十六景』
 尾州不二見原
   
   *参照した原図:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fujimi_Fuji_view_field_in_the_Owari_province.jpg

タイトル :『尾州不二見原』
解説 :『富嶽三十六景』より、40 番、
日付 初版:1830年頃
この版の発行日:1930年頃
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*尾州 不二見原・・・
「尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)」は、
葛飾北斎の『富嶽三十六景』に収められた浮世絵です。

舞台: 尾張国(現在の愛知県)の富士見原(ふじみがはら)で、
名古屋城下町近郊の景勝地でした。
作品の概要:
通称 俗に「桶屋の富士」とも呼ばれる人気の高い作品です。
構図 大きな桶を製作中の職人と、
その桶の円形の輪郭を通して遠くに見える小さな富士山という、
大胆な幾何学的構図が特徴です。職人は富士に背を向け、
一心不乱に作業に打ち込んでいます。
制作年代 1831年(天保2年)頃に刊行されました。

描かれた場所:
「尾州」は現在の愛知県西部にあたる尾張国のことで、
描かれている場所は現在の名古屋市中区不二見町付近
の光景と考えられています。
当時は富士山が見える名勝地として知られていましたが、
実際には江戸時代の技術でも
この場所から富士山を見ることは困難だったとも言われています。
北斎は、富士山を身近な存在として感じさせるため、
人々の日常の労働風景と組み合わせて
描くことを得意としており、この作品はその代表例の一つです。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B7%9E%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E5%8E%9F


「尾州不二見原」(びしゅうふじみがばら)は、
葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』46図のうちの一図。
1831年(天保2年)頃刊行。大判錦絵。
落款は「北斎改為一(ほくさい・あらため・いいつ)筆」、
改印(あらためいん)は無い。版元は永寿堂西村屋与八。
概要:
『北斎漫画』三編より:
現在の愛知県名古屋市中区富士見町周辺とされる。
当地は名古屋郊外の遊廓や武家屋敷が存在する名勝地であった。
北斎は2度名古屋を訪れているが、当地を訪れたかは不明である。

46図中、最も西に位置し、かつ「常州牛堀」に次いで、
遠距離(約167キロメートル)から富嶽を眺めているが、
この地から見える峰は、南アルプスの聖岳であり、富嶽は南アルプスに遮蔽されて、
実際は見えない。

画面中央には巨大な樽の中で板を槍鉋で削る職人の姿が描かれ、
樽の中から田園風景の彼方に小さく富士の姿を見せる。
樽の左側には箍と道具箱が、右には木槌が置かれ、樽が動くのを押さえている。

これに酷似した構図は、『北斎漫画 三編』(1814-1818年(文化11-15年))
にも登場している。
このようなアクロバティックな構図は、
河村岷雪の絵本『百富士』の影響を受けたのではないかとの指摘がある。
空の描写には「ベロ藍」が用いられている。
上部だけ更に濃く摺って、際を雑巾がけでぼかしている。

『三十六景』刊行予告で「追々出版」「追々彫刻」とあるように、
本揃いは、36図が同時に刊行されたのではない。
全揃いのうち、落款を見ると、「前北斎為一筆」26図、「北斎改為一筆」9図、
「前北斎為一」10図、「北斎為一筆」1図に分けられるが、
後から追加されたのが明らかな10図が全て「前北斎為一筆」なので、
「北斎改為一筆」計9図の方が、先に刊行されたと考えるのが自然である。
よって本図は最初期に刊行されたことになる。
版元の西村屋与八は、富士講の世話人であり、
講の参加者が江戸だけで数千人いたことを、彼が把握していたからこそ、
当時、役者絵や美人画ほどの人気がなかった名所絵の大揃いを刊行できたのだろう、
との説がある。
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*北斎に魅せられて10年
 各地の展覧会、小布施の北斎館、
 すみだ北斎美術館
 等を見学した。
*版画もどきを楽しんだ10年
*これで一旦区切りとする
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